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平家物語ゆかりのお寺「祇王寺 / ぎおうじ」の紅葉【京都観光】
京都・嵐山「祇王寺 / ぎおうじ」の秋の紅葉

平家物語にゆかりの京都・嵐山のお寺「祇王寺」に、秋の紅葉を見に訪れたので、その詳細を実体験レビューしてみたい。このお寺は、平清盛の寵愛を受けた白拍子達の悲恋が面影に残る尼寺で、庭園にある苔なども有名な、知る人ぞ知る穴場の京都観光スポットとなっているが、はたして中にはどんな庭園が待っているのか、実際に行って確かめてきたいと思う。
今回のお話の舞台場所は...
祇王寺の場所 / アクセス方法

祇王寺のある場所は、京都・嵐山の中心エリアから少し北に向かった、お寺などが集まる山の麓。アクセス方法は、電車の場合は、JR嵯峨野線、京福電鉄を使って嵐山駅に行きそこから歩いて20分ほどで辿り付く。市バスの場合も、市営11番で嵯峨小学校前、もしくは91番、28番で嵯峨釈迦堂前で下車後、歩いて15分ほどかけてたどり着く。
なお、付近には駐車場は設けられていないので、車でアクセスする場合は、嵐山の中心エリアでコインパーキングを見つけるなどして駐車場を確保し、そこから歩いて訪れることになるが、一番の桜や紅葉シーズンには駐車スペースを見つけるのは難しくなるので注意したい。
祇王寺の入り口

祇王寺の入り口がこちら。とても素朴な佇まいの門構えとなっているが、お寺の境内からは、段々と色付き始めている紅葉の木が見えている。
藁葺き屋根には苔

その祇王寺の門の藁葺き屋根には、立派な苔がびっしりと生えている。少し朽ちたような雰囲気は、この祇王寺が重ねてきた歴史の重みを感じさせる。
祇王寺の営業時間と拝観料

さて、この祇王寺は入場するのに拝観料が必要となる。拝観料金は大人300円、小中高100円と、他のお寺や神社の拝観料に比べると少し安めの価格設定になっている。また、ここから更に北東に25分歩いた場所にある有名なお寺「大覚寺」と、ここ「祇王寺」の共通拝観券も600円(ばらばらで拝観すると800円掛かる)で販売されているので、もしも両方のお寺を回りたい場合は、共通拝観券を購入するとお得だ。
また祇王寺の拝観時間は午前9時~午後5:00(受付終了は午後4時30分)となっているので、訪れる時間帯には注意し余裕を持って訪れよう。
祇王寺 境内の庭園

祇王寺の中に入ると、目の前には小さいながらも見事な、紅葉と苔の庭園が広がる。私達が今回訪れたのは11月20日と、11月も下旬ではあったが、最近の京都は冷え込みが足らないため、紅葉はまだ50%程度の色付き加減だ。しかし、この緑から黄緑、オレンジ、赤へと変わっていくこの紅葉のグラデーションも素晴らしく、訪れる人の心を捉えて離さない魅力にあふれている。
苔の上に朽ちる もみじの葉

また、庭園の地面には見事な苔がびっしりと生い茂っているのだが、その上に枯れた紅葉の葉が落ちて朽ちていく様もまたすばらしい。先程、少し小雨が降ったのだが、その雨露に濡れた苔はキラキラと輝いていてとても美しい。実は、この祇王寺は、小雨が降った後の苔の艷やかな輝きがとても魅力的なお寺でもある。
光が差し込む紅葉の木漏れ日

また、太陽が照りつけると、もみじの葉から溢れた日光が苔の地面に差し込む木漏れ日も美しい。そう、この祇王寺は、晴れても、雨が降っても、違った美しい自然の様を訪れた者に見せてくれる。
平家物語と祇王寺のつながり
さてここで、この祇王寺と平家物語のつながりを紹介しておきたいと思う。この祇王寺は、もともと平清盛に寵愛を受けていた白拍子(平安末期~鎌倉時代に起こった歌舞伎の一種、またそれを演じる遊女のこと)「祇王 / ぎおう」が、平清盛の心変わりにより邸を追われ、最後にたどり着いた尼寺。ここで、妹の祇女、母 刀自(とじ)、そして後で合流することになる、祇王が平清盛に捨てられるきっかけとなった若い白拍子 仏御前とともに、4人で念仏三昧の余生を送ったとされるのがこの「祇王寺」なのだ。
その平家物語の「巻第一 祇王のあらすじ」(祇王寺 公式サイトより引用)を下に紹介したい。これを読んでおくと、祇王寺を訪れるのがもっと奥深いものになるはずだ。
平家物語 - 巻第一 祇王のあらすじ
時は平家全盛期、天下は平清盛の掌中にあった。その頃、都で評判の白拍子(水干を着て男舞をする舞女)の名手に、祇王・祇女という姉妹があった。姉の祇王は清盛に寵愛されたので、妹の祇女も世にもてはやされ、母の刀自も立派な家屋に住まわせてもらえるようになり一家は富み栄えた。京都中の白拍子らは祇王の幸運を羨み、祇王にあやかって自分の名前に「祇」の字をつける者まで出た。
三年が経つ頃、また京都に評判の高い白拍子が一人現れた。加賀国の者で年は16歳、名を仏という。そんな彼女が「自分の舞を見てほしい」と清盛のもとを訪れた。しかし清盛は、「遊女は招かれて参るもの、自ら推参するとは何事だ。そのうえ祇王がいるところへ来るとは許されぬこと。さっさと退出せよ」と追い出そうとした。すると祇王が「そんなにそっけなくお帰しになるのはかわいそうです。同じ白拍子として、他人事とも思えません。ご対面だけでもなさったらいかがですか」ととりなしたので、「そんなにお前が言うのなら」と清盛は仏御前を呼び戻した。
仏御前の今様も舞もとても見事で、見聞きしていた人はみなびっくりした。清盛もすぐに仏御前に心を移してしまい、仏御前をそばに置こうとした。仏御前は驚いて「追い出されそうになったのを祇王御前のおとりなしにより呼び戻していただいたのに、私を召し置かれるなどとなったら祇王御前に対して気恥ずかしくございます。さっさとお暇をくださいませ」と清盛に申し上げたところ、清盛は、「祇王がいるので遠慮するのであれば、祇王を追い出そう。祇王、さっさと退出せよ」と命じて祇王を追い出してしまった。
祇王はもとから、いつかは追い出される身であろうことは覚悟していたが、それでもこんなに早く追い出されるとは思ってもみず、せめてもの形見にと、襖に泣く泣く一首の歌を書きつけた。
「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき」
訳:春に草木が芽をふくように、仏御前が清盛に愛され栄えようとするのも、私が捨てられるのも、しょせんは同じ野辺の草―白拍子―なのだ。どれも秋になって果てるように、誰が清盛にあきられないで終わることがあろうか
我が家に戻った祇王は、倒れ伏してただ泣いてばかりいた。そのうちに毎月贈られていたお米やお金も止められた。
翌年の春、清盛が祇王のところへ使いを出し、「仏御前が寂しそうにしているから、一度こちらへ参り今様をうたい舞も舞って慰めてくれ」と命じた。母の刀自に説得され、祇王は泣く泣く西八条へと赴いた。
祇王はずっと下手の所に座席を設けて置かれ、悔し涙を袖でおさえた。仏御前はそれを見てあまりにも気の毒に思ったが、清盛に強く止められて何もできなかった。祇王は清盛の言う通りに今様をひとつうたった。
「仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり
いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
訳:仏も昔は凡人であった。我等もしまいには悟りをひらいて仏になれるのだ。そのように誰もが仏になれる性質をもっている身なのに、このように仏—仏御前—と自分を分け隔てするのが、誠に悲しいことだ
祇王は邸をあとにし、自らの命を絶とうとした。すると妹の祇女も一緒にという。しかし母の刀自に泣く泣く教え諭され、都を出て尼になる決心をした。三人は嵯峨の奥の山里にそまつな庵(後の祇王寺)を造って念仏を唱えて過ごし、一途に後世の幸福を願った。
春が過ぎ夏が過ぎ、秋の風が吹き始めるころ、ある夜竹の網戸をとんとんとたたく者がある。こんな夜更けにこんな山里にいったい誰であろうと恐れながらも出てみると、そこには仏御前がいた。
驚く祇王に向かって仏御前は言った。「もとは追い出されるところを祇王御前のおとりなしによって呼び戻されたのに、私だけが残されてしまい本当につらいことでした。祇王御前のふすまの筆の跡を見て、なるほどその通り、いつかは我が身だと思い、祇王御前が今姿を変えてこちらにいらっしゃると聞き、ぜひ私もとこちらに参りました」衣を払いのけた仏御前はすでに尼になっていた。「私の罪を許してください。もし許されるなら、一緒に念仏を唱えて極楽浄土の同じ蓮の上に生まれましょう」と、仏御前がさめざめと涙を流したので、祇王は涙をこらえ、「あなたがこれほど思っておられたとは夢にも知りませんでした。さあ一緒に往生を願いましょう」と迎え入れた。それから四人は同じ所に籠って朝夕一心に往生を願い、本望をとげたということであった。
そして、後白河法皇の建てられた長講堂の過去帳にも、「祇王・祇女・仏・とじらの尊霊」と、4人同じ所に書き入れられた。
参考文献:「日本古典文学全集29 平家物語 一」(小学館 1973年初版発行 1995年第25版発行)
最初の祇王が詠んだ歌「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき」は、今まさに外で枯れて落ちてゆく紅葉の情景と重なるような内容で、この祇王寺の庭園が、その悲しい物語をドラマチックに物語っているような、そんな気分にもさせてくれる。
祇王寺の奥の草庵へ

さて私達は、その女達四人が念仏に明け暮れたとされる、祇王寺の境内の奥にある「草庵」へと足を運ぶ。ここには、本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が安置されている(木像などは写真撮影禁止)のだが、平清盛の木像だけ、障子の間に隠れるように供えられているのだ。これは祇王や仏御前の女心をうまく表したような感じになっており、とてもおもしろい。
吉野窓 / 虹の窓

この草庵の奥の控えの間には「吉野窓」という大きな障子窓がある。この窓は、窓の格子と外の竹やぶが交差し、影が色づいてみることから「虹の窓」とも呼ばれているのだとか。その吉野窓の前には祇王寺の名所を切り取った箱庭のようなミニチュアも置かれている。
平家物語に心を馳せる京都・嵐山のお寺「祇王寺」

平家物語にゆかりの深い京都・嵐山のお寺「祇王寺」の紅葉はいかがだっただろうか。何も知らずにこの祇王寺のお寺の紅葉や苔を見てももちろん美しいのだが、祇王や仏御前という白拍子達の物語を知ることで、さらにこの京都の秋の紅葉の美しさを何倍にも強く印象的に鑑賞できるのではないかと思う。この祇王寺を訪れる際は、ぜひ平家物語の一節を胸に、その昔の時代に心馳せるように、この素晴らしい紅葉の風景を眺めてみてほしいと思う。それでは、平家物語ゆかりの「祇王寺」で思い出に残る京都観光を!